長男が中3の秋に不登校になりました。
不登校はよかったのですが、進学に影響しました。受験校を決定させなきゃいけない時期に不登校になっていたので、志望校の見直しをしなければいけませんでした。
- 確約書・・・
- 志望校見直しといっても・・・
- 受験を見送る。進学を見送る。その決意
- たった一年やん
- 勇気を出して提案
- 彼のホッとした顔
- 原因が分かった今は・・・
- 私の提案は間違っていたんじゃないか
- だけど・・・
- 支えになったのは
- もし・・・同じように思案してらっしゃる方が読んでくれてるなら。
確約書・・・
いわゆる、誓約書みたいなもので、受験する学校を決定させて、それを後で変更したりわがままいったりしません。というものを提出しなければいけませんでした。
その提出期限まで、1か月ほどしかなかった頃に、志望校の変更を。と担任から連絡がありました。
志望校が公立だったため、不登校になってしまい、出席日数と成績で受験が難しい。というわけで、志望校の選出しなおしです。
志望校見直しといっても・・・
先生がアドバイスくださったのは、
「不登校だった子に対するケアがある学校」
「スクールカウンセラーが常駐してる学校」
でした。
もう、時期的にオープンスクールもないし、先生に聞いても・・・・だし。
ネットで探すって言ってもなぁ。。。
時間だけがどんどん過ぎて、何をどうしたらいいのか、どう探せばいいのか、何がいいのか・・・
そもそも、何が原因で不登校になっているのかもわからないのに、学校探し・・・??不登校やのに、高校は行けるの???みたいな。
暗黒って感じだった。
受験を見送る。進学を見送る。その決意
探せばいいってもんじゃないし、学校に行けばいいってもんじゃないし。
散々思案して、私が出した答えは、
受験を見送る。進学を見送る。
ということ。こんなことをしていいのかどうか。本当に迷った。
だけど、わけのわからない状態で、わけのわからん事をして、無理無理に学校を見つけて、入学して、ってそんなんでいいのかと。
3年もそこで過ごすんだよ。
中学みたいに、在籍していれば卒業できるわけじゃないし
また学校に行けなくなって、また寝込むほど体調崩して、苦しんで、その上に挫折感味わうかもしれないんだったら、
一年かけてゆっくり休めて、原因解決させて、学校ゆっくり選ぼうよ。
って思ったんだ。
たった一年やん
70年も80年も生きるんじゃん。この子たちの時代は、100年が定着してる時代かもしれない。
だとしたら、そのうちの1年なんて、大したことないんじゃないか。って思った。
その1年で療養して原因究明して、対策とって学校探しをしたほうが有意義なんじゃないかって。
勇気を出して提案
長男に、1年、ゆっくりしないか。って。
慌てて学校探しして、適当なところに入学して、原因もわかんないのに、また大変だったら、また不登校になったら・・・もう、嫌じゃない?(私も嫌だ)
高校は、点数とか出席日数で進級が決まるしさ。
療養しながら、入りたいなって思う学校を探さない?
そう提案した。
提案するのも、勇気がいった。彼が自分を責めないか。自分に変な烙印を押さないか。
もしかしたら私の提案は、彼をダメにするんじゃないか。って。
悩んでも仕方ないから、提案した。「一つの方法として、ありかも、と思ったから、提案させて」って。
彼のホッとした顔
即答だった。
「うん、そうする」
そして、あんなに険しくて暗くて苦しそうだった顔が一瞬にして和らいだ。
ホッとしたのがわかった。
「もうあんなところ(環境)で過ごさなくて済む」「もうあんな所(環境)に行かなくて済む」
そんな気持ちをひしひしと感じた。
「誰とでも仲良くて、いつも楽しそうに過ごしてる。」と聞いていたのに。
彼からも、イジメとかそういうのは一切ないって聞いていたのに。
なんでそんなにホッとするんだろう。って不思議で仕方なかった。
何がそんなに嫌だったのかなって。
原因が分かった今は・・・
原因が分かった今は、「もうあんなところ(環境)で過ごさなくて済む」「もうあんな所(環境)に行かなくて済む」と感じた理由が良くわかる。
その時は全然わからなかった。
そして、そんな風に感じたことをそんなに深く気に留めなかった。
だって、その時は、ベストなことが何かを必死で模索していたから。
本当にそれを提案していいのか、何度も思案し続けたから。
彼に提案するのを何度も何度も迷ったから。
私の提案は間違っていたんじゃないか
そう思うときは何度もあった。
寝たきりの状態をみては、彼を引きこもりにしてしまったんじゃないかって何度も思った。
ゲームばかりしてる彼を見ては、ニートに育ててしまっただけなんじゃないかって何度も思った。
私の提案は間違いだったんじゃないかって。
だけど・・・
間違いじゃないかって思うことはある。正しいかどうかなんてわからない。
けど。ここ最近、彼を見ていて、「よかった」って思う。
社会から、離れて過ごしているのがいいのか悪いのか。よくわからないけど、音やにおい、光に困る生活から解放されて、不調は、気圧に変化の時だけになった。
笑顔も増えてる。
行動量も増えてきてる。
学校も1年課題はクリアした。あとは進級テストを受けるだけ。
めっちゃ前に進んでる。
私はそう思いました。
支えになったのは
「どうや、最近」と声をかけて、ただただ話を聞いてくれるだけの人。
「そうか。えぇんちゃうか」と、私が何を言っても。私が二転三転させても、「えぇと思うよ」と言ってくれた人。
ただただ、黙って見守ってくれてる人。
ありがとう。
もし・・・同じように思案してらっしゃる方が読んでくれてるなら。
人は好きなことを好きなように言う。思い付きでも「これいいかも」って思っていろいろ言ってくれる。
周りはいろいろ言う。言いたいことを言う。なにかの足しになればって声を寄せてくれる人もいるけど、、、、、イタイものが多かったりするな・・・
でもいいの、そういうの。
あれこれ思う必要はない。
ふーん、へー、そうか。って聞く。
価値観、違うから、へー。だけでいいよ。
渦中にいるのといないのとでは全然違う。
経験してるかしてないかでも全然違う。
いろいろ気にかけてくれてるということは、心から感謝する。
おっしゃることは、ありがとう、といって聞く。言う通りには出来ないけどね。
彼の笑顔が見れるようになったからいいの。
そろそろ、次の段階を模索して思案する時期が来るかな。
不登校ってなんかもうちょっといいネーミング、なかったんかな。
もうちょっとセンスが欲しいわ。学校に行けなくなる理由をよくよく見つめてもらえたらこんな名詞にはならんかったんじゃない???と思うこの頃。